久々にやった
MacPorts から Homebrew に乗り換えようとして,
とりあえず sudo rm -rf /opt/local とかやって,
sudo brew install zsh とかして,ターミナルからログインしなおしてみたら,
ターミナル起動せんやん.
ということで,account > 詳細オプション > ログインシェル を /usr/local/bin/zsh に変更したよ.
最近ログインシェル bash にして,exec zsh してることが多いから,
油断してたよっ!
数式処理ソフトは微積分もできれば、方程式も解けるし、グラフも描ける。
「解を求めよ」みたいな問題はだいたい解けるから、今でも
「そんなものを生徒・学生に与えたら、宿題・課題をみんなコンピュータに任せてしまって自分でやらなくなる→計算できなくなる→ヘタレ文系になる→国が滅ぶ」
というようなことを心配する人がいる。
楽ができるツール(というかあらゆるツールは楽をするためにあるのだが)の登場が人間を駄目にするというのは、古くからある教説である。
情報技術に限っても、すでに《文字の発明がいかに人をダメにするか》といったことを紀元前4世紀にはプラトンが『パイドロス』に書いている。
文字のせいで(本を読むことで、と置き換えてもいいだろう)、記憶力が悪くなるばかりか、知ったかぶりで付き合いにくい人間になるというのだ。
モンテーニュもまた、これと似たような人間ができるとして、学校を批判している。スポーツでもさせた方がましだと言う。
しかし、辞書もまた楽をするための情報技術だけれど(辞書なしには、文意を推測するために、数多のテクストを突き合わせて膨大な作業を行わなくてはならないだろう。辞書のない/頼りにできない領域では、今でもこうしたことが行われている)、数式処理ソフトほど目の敵にされてはいない。
「人間は楽をしたがる生き物だ。辞書を使って楽することを覚えたら,そいつは辞書なしに何も読めなくなるから,少なくとも若い人たちは辞書を使うべきではない」という人は少ない。
それどころか辞書を使うことを奨励する人たちが多い。
辞書を使うことで、より正確に言えば辞書を使って楽をすることで、自分の現在のボキャブラリーを越えるもの=辞書なしでは読めないような書物へも、人は背伸びして喰らいつくことができる。つまり辞書が下駄を履かせた分、その人にとって外国語が開く世界は広がる。
数式処理ソフトについても、これと同じことは言えないだろうか?
始めにプロジェクトを作った時にやるのは Classes の下に controllesr, models, views とフォルダを作って、それをXcodeにドラッグ&ドロップして、そこにクラスを追加していくようにしています。こうするとわかりやすくて何か幸せ。
これはgitとかと連携する場合にも有用だと思ってるんだけど、ベタ置きの人が多い気がするんだよねぇ。他の人はあんま気になんないのかな。
戦とか軍とかって単語を含んだツィートをすると、おれの前描いてた漫画の悪役の少佐ってキャラのbotが、必ず「よろしいならば戦争だ」と、原作者の俺に宣戦布告してくる。
「どうして同じ画像を何度もReblogしてるの?」
「おまえは恋人に「かわいいね」と言えば、もう二度と言わなくても良いと思ってるのかい?」
いきなり部屋に入ってきて踊り出す姉。
↓
「クラッシュバンディクーッ!!クラッシュバンディクーウゥー!!バンディバンディバンディバー!!」ガンッ!!
↓
姉、勢いよく振り向き、振り向き様に右腕を本棚に激しく打ち付け、うずくまる。
俺、呆然。
↓
姉、あまりの痛みに泣き出す。
俺、パニック。
病院に行ったら右手首骨折全治2ヶ月の大ケガでした。
こんな歳で姉の身の回りの世話をするはめになるとは思わなかったぜ。
骨折が治った今でもクラッシュバンディクーは、姉ダンスのレパートリーから外されているらしい。